

ホームページにご訪問いただきありがとうございます。
森山敏志です。
はじめての方もいらっしゃると思いますので、
簡単に自己紹介をさせてください。
森山敏志のプロフィール
株式会社ポテンシャル 代表取締役
誰かの役に立てる、スキルや知識、資格はあるのに、、、
セールスが苦手で、相手に商品の価値が届かない、、、そんな人のために
自己催眠技術の習得を含む、『至福セールス研究所』を開講中。
元無形コンテンツ専門のセールスマンとして、5000人以上のサポートをしてきた経験を生かし、コーチ、コンサル、セラピスト、ヒーラーなどを中心にサポート
コーチング業界にとどまらず
議員、医療関係者、経営者、大企業の社員、
営業職、コミュニティ運営者、投資家、
アパレル業、フリーター、農業、建設業、飲食業、
youtuber、アフィリエイター、整体師、
フィットネスインストラクター、マッサージ業、
格闘家、美容、保育士、介護士、など
などあらゆる業界に対してサポート経験あり
これまでサポートしたクライアントは、
・ビジネス未経験60代男性→月収80万円獲得
・セールス未経験学生→毎月100万円の売上達成
・セールス未経験学生→1ヶ月700万円の売上達成
・セールス未経験サラリーマン→月収100万円超
・平均年収だった男性→20倍の収入になった
・1500万円の借金を抱えた男性→1年後に完済
森山自身は、
たまご農家をしながら、ブログやSNSなどWeb集客無しの状態で、副業コーチ月474万円を達成。ビジネス知識0、借金400万円を抱えたマイナス状態のスタートからセールスを学び3ヶ月で月収100万円を達成。その後、1年で年収1000万円を超え、会社を設立し初年度から年商1億円を稼ぐ。
現在は、妻や子供、家族との時間や趣味の時間も大切にしながら、自分に合うバランスのとれたライフスタイルを送っています。
ただそんな私は、起業する前にたくさん悩みを抱えていました。
「コーチングを学んだのに商品が売れない、、、」「でも押し売りみたいなことはしたくない、、」「なぜ商品の価値が相手に伝わらないんだ、、、」
そんなことを考えていると、
「自分なんかがコーチングをしていいのだろうか、、、」「自分の商品を販売してお金をもらってもいいのだろうか、、、」「同業で実績のある人たちには勝てないんじゃないか、、、」
こんなことを考えてしまい、より負のスパイラルにハマってしまっていたのです。
他にも、ビジネス音痴のまま、手探り状態でトライ&エラーを繰り返し、様々なことに挑戦し失敗してきたので、ビジネス経験の少ない初心者の方々の気持ちがとてもよくわかります。
これまで累計5000人以上の相談に乗り、指導を行ってきましたが、思いやりのある優しい人は、セールスを苦手に感じている人が多いです。
しかし、そのような人ほど、世の中を良くしたい、人のために何かしたいと思う人が多いので、弊社はそのような方々のサポートをすることで世の中に社会貢献できる人や至福な人生を送れる人を増やしていけると考えています。
森山敏志の起業ストーリー
何の取り柄もない自分に絶望


1990年4月10日千葉県生まれ。
たまご農家を営む父と母のもとで育ててもらった。
父と母が仕事で忙しいときは、代わりに祖父と祖母が自分の面倒を見てくれていた。
そして3つ歳が離れた兄と歳が同じ双子の兄がいて、末っ子として育った私は、けっこう甘やかされて育った。
特別お金持ちというわけでもなかったが、欲しいものは、だいたい買い与えてもらえたし、怒られることも少なかった。
だから自由にのびのび育った。家業がたまご農家ということもあり、土地が広く、自然が豊かだったため、たくさん遊び、
自由を満喫できて、毎日家にいるのが最高に楽しかった。
ただ、家で自由にやりたい放題、好き放題していた反面、外に出るのが苦手だった。だから、自分の家では気が大きいが、家の外では内気で気が小さかった。コミュ障で他人としゃべるのが苦手、緊張しやすく、ちょっとしたことで悩みやすい性格だったのだ。
とにかく他人としゃべるのが苦手だったので、小学生の頃は、学校でほとんど誰ともしゃべらないまま帰宅することもしょっちゅうだったし、周りの目を気にして、自然に笑ったりすることもできなかったので、学校にいるときは本当に苦しかった。
また、私は上がり症で、目立ちたくないと思っていたので、授業中の発表などで先生に指されないか常にビクビクしていた。みんなの前で発表するとうまく喋れなかったり、手足がブルブル震えたりしたので、周りから、からかわれたり、バカにされることが嫌だったからだ。
そんな私が唯一、活躍できる分野があった。私は、小学生の頃、足が速かったので町の陸上大会に学校の代表として出場し、100m走競技で優勝したのだ。学校の人気者になったし、親や学校の先生にも褒められて、将来はスポーツで良い学校に進学し、その後は優良企業に入社しようみたいなことも言われて、期待もされていた。自分は、自信がついたし、将来が楽しみだった。
ところが、そんな期待は脆くも崩れた。
私は、中学校では駅伝部、高校、大学では、ラグビー部に所属し、ずっと厳しい練習に耐えて、スポーツを続けてきたが、いつもここぞというときにライバルとの勝負に負けてしまい、補欠のような役回りが多く、満足するような結果が残せなかった。だからスポーツを頑張っていれば、優良企業に行けると考えていたが、就活時期には、当然、企業から声がかかることもなかった。
しかも学生時代は、何も考えずに、毎日、スポーツ漬けの日々を送っていたので、ろくに勉強もせず成績も良くなかった。だから、私は、社会人に近づくにつれて、将来のことを考え始めると憂鬱になった。
スポーツも中途半端だし、勉強もできないし、内気な性格だし、面白いわけでもないし、モテないし、、、考えれば考えるほど「自分は、本当に何の取り柄もない人間だな、、、この先どうしよう、、、」と絶望したのだ。
たまご農家でのモヤモヤ


大学卒業後は、やりたいことも特になかったので、親のたまご農家を手伝うことにした。たまご農家の仕事は、大変だけど、続けられないほど辛いわけでもない。給料はお小遣い程度しかもらえなかったが、実家住まいで衣食住は付いていたので、食に困ることもなく、何不自由なく生活することができていたので、嫌というわけではなかった。
ただ、良くも悪くも、毎日同じような日々の繰り返しで刺激のない日々だった。だから、自分の中では、何とも言えない、不満のような、モヤモヤした違和感を感じていた。そのモヤモヤを発散しようと、たまご農家の仕事に矛先を向けて、色々と挑戦するも、親や一緒に働いていた兄弟とも価値観が合わずに反対されてしまい、挑戦することができない環境だった。
親から言われることをただこなす毎日は自分の人生を生きている気がしなかった。自分の人生は親が決める選択肢で決まっていると感じていた。(今、思えば、他人のせいばかりにして、何もできないと思い込んでいただけ)
それでも、自分が諦めきれず、親や兄弟に自分の意思を貫こうと接したことで、よく喧嘩や言い合いになって、揉めることも多くなった。そして結局は、自分が折れて、どうにもできない不甲斐なさを感じ、悩むことも増えていった。
「オレはこんなことをしていていいのだろうか」
「もっとオレの才能を発揮できることがあるんじゃないか」
「俺は、本当は何がしたいんだろうか、、、」
「新しいことに挑戦したい、、、」
「でも何から始めていいかわからない、、、」
と自問自答を繰り返すも、答えは見つからず、、ただ時間だけが過ぎていった。そんなある日、知り合いから「おすすめの本があるから読んでみなよ」と言われた。
人生を変える本との出会い


その本とは、『コンフォートゾーンの作り方』という本だった。知り合いは、すごい熱量で教えてくれた、「この本マジでやばいよ、著者が天才の苫米地英人という人で、世界で活躍する脳科学者でカーネギーメロン大学の博士でオウム心理教の脱洗脳を行った人」
「この人が開発したプログラムは、フォーチュン500という世界のトップ企業500社の62%が導入されていて、NASAや国防総省、軍隊、オリンピック選手にも取り入れられている」
など、その後も説明の勢いは止まらないまま、永遠に説明をしてくれた。私は、相手の説明の熱量と内容に引き込まれていた。ただ、その分、とても怪しいとも思った。しかし、私は、好奇心が勝ち、結局を本を読むことにした。
『コンフォートゾーンの作り方』を読み終えると、衝撃を受けた。
これまで、自己啓発本を読み漁ってはいたものの、言いたいことは理解できても、本当に信じていい内容なのか腑に落ちない内容が多かった。
しかし『コンフォートゾーンの作り方』は、違った。科学的根拠に沿った内容で論理的に書かれていて、これまで読んできた自己啓発本とは比にならないほど腑に落ちる本だったのだ。あまりにも衝撃を受けたので、著者である苫米地英人氏の本を一気に50冊ほど購入し、一瞬ですべてを読破してしまった。
これまで、感じていたモヤモヤが吹っ飛ぶと同時に全身にエネルギーが満ち溢れてくるような状態となり、いてもたってもいられず未知なるステージに飛び出したくなった。そして、たまご農家の仕事を退職することにしたのだ。たまご農家の仕事を退職し、実家を飛び出したら、鎖から解き放たれたような気分で、とても清々しかった。
退職してからは、これまで頭に入ってこなかった情報がどんどん入ってきて、世界が広がっていくような感覚だったことを覚えている。そして、新たなビジネスに挑戦することになった。本「コンフォートゾーンの作り方」を教えてくれた知り合いが既に会社経営をしていてビジネスに詳しそうだと思ったので相談することにした。
そこでおすすめされたのが、ビジネスがネットワークビジネスだった。
ネットワークビジネスで成功を目指す


知り合いに誘われてネットワークビジネスのセミナーに参加して説明を聞いてみたら、リゾート会員権を商品として扱っていて、安く旅行に行けたり、リッツカールトンとか高級ホテルにもタダで泊まれるみたいな内容だった。
そして、そのリゾート会員権を友だちに紹介して、有料で会員登録してもらうと、自分の収入も増えるという内容だった。
しかもその収入は、権利収入、不労所得と言われるもので、一度、仕組みを構築してしまえば、働かなくてもお金が稼ぎ続けられるシステムとのことだった。
「リゾート会員になった友達と一緒に旅行を楽しめて、お金も稼げるなんて、そんな夢のような話があるのか」と感動した。
セミナー会場を見渡すと、かなりの人数が集まっていて、数百人はいたと思う。
知り合いからいろんな人を紹介されて、成功者みたいな人が月収500万円稼いでます、とか、このビジネスを捉えて人生が変わりました。みたいなことを話してくれた。
他にも会場には、20代〜50代くらいまでの幅広い世代のイケイケな男女がたくさんいて、しかもいい人そうな人達が多かった。
連絡先なども交換して、たくさん友達も増えた気がして、嬉しかった。
当時の私は、「これは、騙されたと思って本気で行動してみる価値はあるな」と思い、
セミナー終了後、ネットワークビジネスに登録することにしたのだ。
その後は、「俺もセミナー会場にいた成功者みたいになるぞ!!」と期待に胸を踊らせながら、まずは、セミナーで紹介されていた成功者マニュアルに書いてある通り、商品のリゾート会員権を友達や知り合いに紹介するため、たくさんの人に連絡をとって、対面で会う機会を作っていこうと思った。
ところが、そんな自分が数ヶ月後、地獄のどん底を経験することになるとは考えもしていなかった。
借金400万円だけ残り、友達、お金、家、を無くす、、、


ネットワークビジネスで成功を目指し、リゾート会員権を紹介しようと、片っ端から友達や知人にアプローチしまくった結果、最悪な結果となった、、、
ある人からは、
「ふざけんな!こんな、ねずみ講の勧誘するために呼んだのかよ!」と怒鳴りつけられたり、、、
ある人からは、
「こんな怪しいビジネスは辞めたほうがいいよ、目を覚ませよ」と止められたり、、、
ある人からは、
無言のまま帰られて、その後は連絡しても音信不通になってしまったり、、、
自分は、こんなに良いものを紹介したら、みんな喜ぶだろうと思っていたのに、、、
結果は真逆だった。
正直とてもショックを受けたが、ネットワークビジネスのセミナーに何度も参加したり、ネットワークビジネス仲間も増えて、ネットワークビジネスへの確信が高くなっていたので「この価値がわからない人はもったいないな」と正当化して考えるようになっていた。
その後もアプローチをし続けて、気がつくと、連絡した友達から
「〇〇から噂を聞いたぞ、森山が怪しいビジネスの勧誘をしてくるから気をつけたほうが良いって」と言われた、実際に自分の悪い噂も流れてだし、今まで仲の良かった友達の態度も急変したり、あっというまに友達が減っていった。
そして、リゾート会員権の勧誘をしても全然、会員が増えなかったので、収入も0のままだった。一刻も早くネットワークビジネスで結果を出したくて、バイトなどをしないまま、ネットワークビジネス1本に集中して行動していたので、貯金が底を尽き、活動費用がなくなった。
それでも諦めたくなかった私は、借金をして活動を続けていくことを決めたのだ。
どうしてもお金が必要だったので、ビジネス活動中に知り合った人から、お金を借りる方法をコンサルしてもらうことになり、銀行や消費者金融などから400万円の借金をすることになった。無知な私はコンサル費用は借金で支払った。
ところが、新たに借金で資金調達した分も、気がつくと一瞬で使い果たしてしまった。
会費や、人と会うときの食事代やお茶代、セミナー代、イベント代などに加えて、生活費や、成功しているように見せるためのアイテムなどの購入など、諸々でけっこうお金がかかっていたのだ。
食費もどんどん抑えなければいけなくなり、一日一食、白米と10円ぐらいの駄菓子で済ませることもあり、生活費を稼ぐために、日雇いバイトなどで睡眠を削りながら、無理して働くことも増え、高熱が出て倒れてしまうこともあった。
結果的に、支払いが追いつかなくなり、借りていたアパートの家賃を滞納し、ガス、電気、水道なども止まる状態になり、アパートも出ることにした。
家族と疎遠状態で、友達もいなくなり、家もお金もなくなった。借金だけが400万円残り、体調も崩してしまった。
ここでやっと、私は、ネットワークビジネスをやめることにした。
とにかくお金がないと生活できないので、知人の家に居候させてもらいながら、新たな一歩を踏み出すことにした。
対面セールスの活動を始めることにしたのだ。
セールスを必死に学び、実践したら生活が変わった


私は、コールセンターのテレアポセールスの仕事をしながら、副業でフルコミッションのセールス活動を始めた。
そして必死にセールスを学び、行動したら、思いもよらない結果になった。
・テレアポセールスは、従業員が100人以上いる中、ダントツの営業成績1位だった。
・フルコミッションのセールス活動を開始し3ヶ月で月収100万円を超えることができた。
・その後は、コールセンターの仕事を辞めてセールス代行会社を設立。
・フルコミッションのセールスを組織化し1年で1億円以上稼げるようになった。
・知り合いの家に居候してた状態から、港区の高層マンションに住めるようになった。
・大阪と二拠点生活をしたり、高級なお店で食事をしたり、毎月海外旅行に行くこともできるようになった。
・海外に学校を建てることができた
・累計5000人以上の相談、指導を行ってきた。
このように、セールスを学び、実践したら生活を大きく変えることはできた。
ただ、なによりも嬉しかったのは、しっかりとセールスを学んだことで、多くの人の役に立つことができて、感謝されるようになったことだった。
ただ、セールスと聞くと一般的には「強引な押し売り」や「しつこい」といった悪いイメージを持っている人が多いと思うが。それは、間違ったセールスで、多くの人が非常にもったいない勘違いをしてしまっている。
本当のセールスの定義は、「相手の悩みや問題を汲み取り、その解決策を提案する」だと自分は思う。
そしてセールスの目的は、「相手に幸せな未来を提供すること」だと思っている。
だから、強引な押し売りなど一切必要ないし、むしろ、相手から懇願されるもので、商品やサービスを提供した際には、心から感謝されるものなのだ。
心に空いた穴


セールスを学び、実践したことで、
自分がなんとなく憧れていた世界を実現することができたが、心が満たされなかった。
心にぽっかりと穴が空いた感覚になっていたのだ。
急に虚無感に襲われ、何もやる気が出なくなってしまったのです。その理由は、なんとなく憧れていた世界を実現しても、思ったほど嬉しく感じなかったというのも理由の一つだが、なによりも、セールスは、相手に幸せな未来を提供するために粉っているものなのにも関わらず、販売後、扱っている商品によっては、相手は本当に幸せになっているのか怪しく感じてしまうような商品もあり、確信が下がってしまったことが大きい理由だ。
そのタイミングで軽い鬱状態となり、何もやる気が起きないまま、虚無感を感じながら、孤独な時間が過ぎていった。その出来事がきっかけで、改めて、自分だけが豊かになっても、自分の身の回りやもっと多くの人が豊かになっていなかったら、心から喜べないということを思った。
だから私は、自分で本当に相手の役に立てる商品を作りたいと思った。そしてその商品は、「心からやりたいこと」と「情熱があるもの」でないと販売しようと思えないし、心が満たされないと痛感した。
心からやりたいこと×情熱のあるもの


私の中の「心からやりたいこと」×「情熱のあるもの」は、コーチングだった。
もともと、自分の人生が大きく変わるきっかけとなった本『コンフォートゾーンの作り方』は、コーチングについての内容が書いてある本だった。そして『コンフォートゾーンの作り方』を読み、衝撃を受けてからは、ずっとコーチングについて学び続けていて、自分が困ったり、壁にぶつかったときは、必ず『コンフォートゾーンの作り方』やその著者、苫米地英人氏の他の本を読んでいた。今も苫米地英人氏の本は人生のバイブル的な役割を果たしてもらっていて常に心の支えになっている。
だから、苫米地英人氏が開発した苫米地式コーチングを受けに行き、もっとコーチングに詳しくなって、自分もコーチングを世の中に広めたいと思ったのだ。実際に苫米地英人氏やマスターコーチから苫米地式コーチングを受けて、その後は、苫米地英人氏から認められた、苫米地式認定コーチとなった。
これまで自分の商品ではなく他人の商品を販売してきたので、自分の強みや特徴を活かした商品を作れるように、商品づくりやコンセプト、差別化やポジショニングなどを1から徹底的に学んだ。
そして私は、過去に内気で気が小さい上に他人としゃべることが苦手、コミュ障で上がり症、というバックボーンを持ちながら、セールスに挑戦してきたので、そこでトライエラーを繰り返して得た経験を活かし、無理な押し売りなど一切せず、感謝されながら、コーチングで1ヶ月464万円の成約を獲得し、6ヶ月間で1140万円の収入を得ることができた。
そして株式会社ポテンシャルというコーチング会社を作った。
改めて自分が「心からやりたいこと」「情熱のあること」で人の役に立てる喜びは最高だと感じた。










私は、ちょっと前に比べたら小さな成功を手に入れて幸せになった。
ここまで振り返ってみると、自分の人生は9割以上は失敗の連続だったと感じている。
・内気な性格、しゃべるのが苦手でコミュ障、上がり症で気にしすぎてしまう性格だったので学校を楽しめなかった。
・唯一スポーツで結果を残せると期待して活動するも、中途半端な結果しか残せず、何の取り柄もない自分に絶望する
・親の仕事を手伝っても、親や兄弟と揉めてうまくいかなかった
・ネットワークビジネスを始めるも、家、友達、お金、が無くなり、借金が400万円だけ残り、貧困生活を余儀なくされる
・セールスがきっかけで理想を実現できたと思いきや、その理想は自分の求めていたものではなく、虚無感に陥る
振り返ると
ずっと苦しみながらもがいていたなと。ただ、不思議と楽しかったし、生きている実感を持てたし、これまでに得た知識や経験は宝物だと思っている。そして、まだまだ今後も新たなビジョンのもとに、より多くの挑戦をしていきたいと思っている。


そのビジョンとは、
「心からやりたいことや情熱のあることで、人の役に立ちながら、生きていける人を増やし、より良い世界を実現する」
「今、存在する問題、戦争や差別などのあらゆる問題を解決し、世界を平和にしたい」ということ。
だから、まずは、世の中に自分が得意とする、コーチングとセールスを活かして、各分野の専門家をサポートしたいと思っている。
既にクライアントやコーチング仲間、知り合いから「どうやって集客していますか?」「どうやって起業できましたか?」など、質問や相談を多く受けるようになり、コーチングを行っている人やこれから、起業や副業をしたいと思っている方へサポートする機会が増えているが、
今後は、より多くの人の役に立ちたい。既に人の役に立てるスキルや知識があるにも関わらず、セールスが苦手な人や、自分の強みや情熱を活かして、人の役に立ちたいけど、何から始めて良いのかわからなくて困っている人に対して、自分の強みである、セールスとコーチングを活かして役に立っていきたいと考えている。
以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。